2023年2月27日

2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」にちなんで家康に関連する城をまわることにした。まずは家康が人生の半分ぐらいを過ごした静岡県。今回は浜松城。 大河ドラマ開始に合わせてお色直しを済ませているお城は、青空によく映えている。お城からは富士山も見える。

浜松城は、家康が征夷大将軍にまで上りつめる基盤を築き、後に続いた歴代城主の多くも江戸幕府の要職に就いたことから「出世城」といわれる。

家康は織田信長と同盟を結び、朝倉氏、浅井氏、武田信玄との戦いに明け暮れる日々を過ごした。その結果、三河、遠江、駿府、甲斐、信濃の5か国を有する戦国大名へと飛躍を遂げたが、嫡男・信康と正室・築山殿を死に追いやるという苦難を味わった。

生涯最大の苦難と忍耐の日々において、ここから見える日本一の富士山も、家康を天下統一へと背中を押したにちがいない。


家康年表(下表の薄い緑色の時期に関連するお城)

 

浜松城   目次

1570年、三河平定後、家康は岡崎城から引間(ひくま)城に拠点を移し、城の根本的な拡張工事を行い浜松城と改名した。 29才〜45才までの17年間を浜松で過ごした。家康時代には、まだ石垣や天守はなかったそうだ。
その後城主となった豊臣氏家臣の堀尾吉晴は、高い石垣を築き、天守を建築した。
1958年に復興された現在の天守は三重三階だが吉晴が築いた天守は、現存する天守台の規模や後に建てた松江城天守を参考に四重五階、地下一階だったと想定される。

 

●街とお城
●石垣など

●天守内
●その他

     

 

●街とお城   ●印はクリックして拡大

●浜松駅前も家康一色

家康のマンホール 家康と直虎のマンホール

今年の大河ドラマ「どうする家康」で家康ゆかりの地、浜松は盛り上がっている。浜松城は少し前にお色直しを済ませているし、駅前やマンホールなども家康一色。
宿泊ホテルの真ん前にお城が見える。

遠くから見た浜松城 ●ホテルからの浜松城

●浜松城 夜の浜松城 ホテルからの夜景


←青年期の家康像。右手には家康の兜の象徴である羊歯印(しだじるし)を持っている。

↓天守門の前を通り過ぎて進んで行くと、富士見櫓跡につきあたる。ここから富士山が見える。

青年期の家康像 石垣
●手前は富士見櫓跡 ●富士見櫓跡から天守閣と天守門 富士見櫓跡からの富士山ズーム
浜松時代の数々の戦いと苦難
1570年 姉川の戦いで朝倉・浅井連合軍を撃破
1572年 三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗
1574年 高天神城陥落(対武田軍)
1575年 長篠の戦いで武田勝頼軍を撃破
1579年 正室・築山殿と長男・信康を失う
1581年 高天神城奪還 (対武田軍)
1584年 小牧・長久手の戦いで秀吉と和睦


→三方ヶ原の戦いは、数えきれない戦いを経験した家康の生涯でも最大の惨敗。命からがら浜松城に帰った家康は、脱いだ鎧を松に掛けて安堵したと言われる松。ほかに、三方ヶ原の戦いで敗れて帰ってきたときに「殿、漏らしておりますぞ」に対して「これは味噌だ」と応えたエピソードや、敗戦を肝に銘ずるために自らの惨めな姿を絵師に描かせた「しかみ像」が有名だが、後者は近年では、江戸時代中期になって描かれたとされている。
  鎧掛松

 

●石垣など   ●印はクリックして拡大 

←天守門の石垣正面の左右には巨石が使用されている(鏡石)。

400年以上前の築城時のものとされる、自然石を積み上げた「野面積」の石垣。一見、崩れやすそうに思えるが、400年の風雪に耐え、今なお当時の面影を残す価値の高い文化財。

天守門の鏡石

櫓門である天守門の内側

野面積み ●天守台と天守閣の大きさ 算木積み

↑昭和33年に造られた現在の復興天守閣は、天守台の大きさに比べて3分の2ぐらいしか使用されていない。安土桃山時代の(堀尾吉晴が築いた)浜松城天守は復興天守閣の1.5倍はあったと想定されるそうだ。

葵の紋(井上氏が城主のときの井桁紋) 埋(うずみ)門があった搦手


←「天守曲輪の石垣は斜面上半部にだけ石を積んだ「鉢巻石垣」。また石垣が内側に大きく孤を描くように積まれているが、これをひずみ、または輪取りという。
また、屏風折や出隅、入隅が随所に見られる。こうした複雑な形状は、戦闘時に迫る敵に側面から攻撃を加えるた目の工夫である」

●鉢巻石垣   左写真は右の赤枠箇所の石垣

 

●天守内   ●印はクリックして拡大 
天守閣入口 埋められていた地下の井戸 天守曲輪にある井戸
↑城内には10本の井戸があったとされ、籠城用の井戸が地下に展示されている。
←天守閣内には家康ゆかりの武具や歴史的資料が展示されている。

→歴代藩主の家紋が天井に描かれている。
↓最上階からは富士山が見える。


複製した家康の甲冑 3階の天井には歴代藩主の家紋


最上階から北側 ●最上階からの眺望 最上階からの富士山ズーム

 

●その他   ●印はクリックして拡大 
←徳川2代将軍、秀忠公の産土神社。
→浜松城を訪れたときに、ボランティアの方が、浜松城の野面積みの石垣に対して、五社神社の石垣は切込接ぎだということを教えてくれたのでさっそく訪れてみた。切込接ぎでも半分は完璧に加工されたものだが、途中から少し武骨になっている。


五社神社・諏訪神社 五社神社・諏訪神社の切込接ぎ石垣

 

→浜松と言えば、浜松餃子。野菜がメインだとは聞いていたが、本当に野菜だけだった。その分軽くてあっさりしているので、いくらでもいける。

→そしてもう一つは鰻。浜名湖で養殖された鰻のうな重を美味しくいただいた。

『石松餃子』の餃子 『あつみ』のうな重

 

戻る