2022年5月4日

新緑がまぶしい5月のゴールデンウィークに小諸城へ。5月なので、エネルギーあふれる若葉だけでも十分だったのに、八重桜や小諸八重紅枝垂と呼ばれる桜がツツジと同時に満開の状態で、華やかな小諸城を見ることができた。
特徴である「田切地形」に関しては、城郭を幾筋も通るとてつもない深い谷(火山灰土が雨によって削られた)が印象的で、これらが空堀の役目を果たしていることがよくわかる。まさに自然の地形を生かしたお城だ。

足元には、大好きなスミレが咲き乱れ、特に大欅の下の濃い紫色のスミレ群落は、よく見ると八重咲きのコムロスミレだった。花によって花びらの数は違い、それぞれが自由自在に幾重にも花びらをつけている。スミレの花は左右対称であるという思い込みでこの花を見ると、とても不思議な感じがする。この小諸で発見され八重咲の特徴があるコモロスミレは市の花にも指定されている。



小諸城 - 穴城 - 日本百名城   目次

地形をうまく利用した守りの堅い城。千曲川の断崖を背にし、火山灰土が雨で削られた「田切地形」を空堀として利用している。全国的にも非常にめずらしい「穴城」で、城郭部が城下町よりも低い土地に位置する。
小諸城は戦国時代に武田信玄の軍師、山本勘助により大城へと整備され、仙谷秀久により本格的な城と城下町の整備がすすめられた。
廃藩置県で役割を終えた小諸城は、旧士族により懐古神社が祀られ「懐古園」と名付けられた。

 

●三の門、二の丸跡
●天守台、本丸跡
●桜の競演と大手門公園の花
●展望台、空堀など
●大手門
●コモロスミレなど
●小諸そば、他

     

 

●三の門、二の丸跡   ●印はクリックして拡大 

→チケット売り場の隣のお店の上に「野面積みの石垣が物語る仙谷秀久が築いた穴城」とある。散策券300円で、園内散策と隣接する動物園にも行ける。

↓三門は、小諸城本丸から三番目にある門で、「1815年に仙谷秀久により建立。寄棟造りの二僧の城門で、両塀に矢狭間、鉄砲狭間がつけられた戦闘式の建物。大洪水で流出したが再建」

仙谷秀久の看板 チケット売り場
三の門 ●城郭地図 二の丸の石垣


「小諸城の二の丸は「関ケ原の合戦」に向かう徳川秀忠が逗留した場所。
3万8千の軍勢を率いて中山道を進んだ徳川秀忠を小諸城主・仙石秀久がここに本陣を構えて迎え、真田昌幸に上田城開城を迫った。
結果、秀忠は返事をはぐらかされたことに怒り、上田城を攻めるがわずか3千5百の兵力に翻弄され、そのために関ケ原に遅参したというのはよく知られる話」


二の丸跡へ 二の丸跡

黒門橋:「敵が攻めてきたときに短時間で橋を解体して城内に引き込み、敵と戦うという戦略上の橋」

大ケヤキの下に小諸市の花、コモロスミレの群落を見つけた。

二の丸から見える浅間山 黒門橋  
●樹齢推定500年の大ケヤキ コモロスミレ 荒神井戸

 

●天守台、本丸跡   ●印はクリックして拡大 
天守閣は落雷で焼失されたといわれているが、その天守閣は「仙谷秀久が豊臣秀吉の許しを得て、秀吉の「五三の桐」紋が入った金箔瓦葺きの天守閣を備え、曲輪を野面積みの石垣で組むなどで整備した」そうだ。

●天守台と桜 天守台の上からの美しい萌黄色

近年金箔のついた軒丸瓦が出土したというから、金箔瓦葺きの天守閣が本当だとすると、ここには、秀吉好みの黄金色の派手な天守がそびえていたということになる。

石垣は野面積みで隅み石は算木積み。

●天守台の算木積み ●天守台から続く曲輪の石垣

●天守台の上 曲輪の石垣の上 天守台の上から



←懐古神社の鬼瓦にある家紋は、後に藩主となった牧野家の「牧野三つ柏」の紋。

もともとは築城の名手、山本勘助が縄張りをしたお城で、その山本勘助が常に愛用したとされる鏡石がある。↓

懐古神社 牧野三つ柏の紋  
天守台からの八重桜 ●池 鏡石

 

●桜の競演と大手門公園の花  ●印はクリックして拡大 


天守台の向かいの馬場跡にいろんな種類の八重桜が植わっている。
5月に桜は期待していなかったが、ここは標高が高いので平地ならすでに終わっている八重桜が見頃になっていた。
ツツジの見頃と重なり華やかだ。
さくら名所100選の地にも選ばれているようで、八重の前に咲くソメイヨシノの見頃はこれまた華やかそうだ。

小諸八重紅枝垂 小諸八重紅枝垂
ショウゲツ ソノサトキザクラ 八重桜


●八重桜とツツジ ツツジ ウメ:中央は小諸の「小」を図案化

そろそろ終わりのウコン 公園のオキナグサ花の終わったあと 公園のミヤマオダマキ

 

●展望台、空堀など  ●印はクリックして拡大 


富士見台は標高657m。ここからは遠く110km先にある富士山を望むことができるのだが、この日は霞んでいて見えなかった。日本一の長さを誇る千曲川は見えた。

富士見展望台 ●富士見展望台からの展望

水の手不明御門跡:
小諸城の搦手にあり、城が落城したときにだけ開け、城主一族が逃げ出すための門。江戸時代は平和であったため、この門は一度も開いたことがなかった、とのこと。
ここからは千曲川などすばらしい景色が楽しめる。→


水の手不明御門跡 ●水の手不明御門跡からの眺め

●地獄谷 ●谷にいる人がこんなに小さい ●紅葉谷

小諸城は、背後の千曲川の断崖と浅間山麓の火山灰土が雨で削られた「田切地形」を利用して守りを固めている。実際、地獄谷や紅葉谷など、谷が何筋も通っていて、これらが空堀の役割を果たしている。まさに天然の要害。

浅間山の噴火の際噴出された自然石で造られた石垣→

●小諸城にある複数の谷   ●焼石

 

●大手門  ●印はクリックして拡大

大手門:本丸から数えて四番目の門。「小諸城の正門。1612年藩主仙谷秀久が小諸城を築いた時代の建物。日本の城郭建築の中でも初期の代表的な城門。江戸から大工を呼び、瓦は三河から運んだとされる。」
公園から大手門と浅間山 大手門

二層入母屋造の桜門で石垣と門が一体かしていない、一階が敵の侵入を防ぐ強固な造りに対し、二階は居館形式をとっているなど、多くの特徴がある。
石垣と門が一体化していない 堅固な造り

 

●コモロスミレなど ●印はクリックして拡大 
コモロスミレ:5月初旬に濃い紫色で不規則な重弁花が咲く。日本産すみれ96品種の中で八重咲きのものは、こもろすみれのほかにもう1品種あるだけという珍種。
  コモロスミレの群落

もともとスミレが大好きなので、大ケヤキの下にあるスミレの群落の写真を撮っていたら、花びらが多いことに気づき、そういえばここは小諸だし、もしやこれが八重のすみれ、コモロスミレでは!?ということになった。ネットで調べて確信を得た。
左右対称の普通のスミレと異なり、花びらが自由に何枚も出ているのはとても不思議。

   

 

     
  距がないものもある(距あり)
 
アリアケスミレ(距あり) タチツボスミレ  

 

●小諸そば、他  ●印はクリックして拡大

くるみそば発祥地の小諸には蕎麦屋が多くある。ランチは丁子庵でいただいた。

小諸城のカラーのマンホールは、三門の近くと駅から1ブロックほど北に行った交差点の2箇所で見つかった。↓

丁子庵のくるみそば 小諸駅


駅前歩道に大手門 駅前歩道にコモロスミレ 小諸城のマンホール

 

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