2022年4月1日

お城旅行1日目は大阪城から。1日目から青空に桜満開というベストな環境に恵まれた。
お城の前に位置するホテルを予約していたのだが、果たしてお城は見えるのか? - なんと真ん前に城郭の東の端から西の端まで全部が見える!

満開の桜の向こう側の南外堀の石垣が迫力満点でその壮大さに圧倒される。高さ30mの日本一高い石垣が西の端から東の端まで延びている。なぜこれだけ高い石垣になったかというと、秀吉時代の大阪城を埋めたためらしい。

天守閣は、昭和になって秀吉時代の城を参考に再建されたものだからか、素人が見ても全体のバランスやデザインが完璧で、それに秀吉時代の豪華な金箔の装飾が組み合わさって、かっこいいし、豪華絢爛!

今見えているのは徳川のお城だが、大阪人にとっては秀吉のお城なので、秀吉が日本一の商業都市にした大阪のシンボルである大阪城の隣に、現代の日本を代表する商業都市の象徴、高層ビルが建ち並んでいて、秀吉時代と現代が融合した光景を見ることができるのは感動的だ。


家康年表(下表の葵紋のある時期に関連するお城)


大阪城   目次

今の大阪城天守閣は三代目で、最初は豊臣時代(1585年)の築城、次に徳川秀忠時代(1626年)に再築、その後落雷で天守を失ったが、昭和6年に天守閣復興。いずれもそれぞれの時代の最先端の技術でつくられたもの。

今の天守は鉄骨鉄筋コンクリート構造の五層八階で、天守の中は博物館になっている。外観は初層から4層までは徳川時代風の白漆塗りで、5層目は豊臣時代風に黒漆に金箔で虎や鶴の絵が描かれている。

 

●ホテルから見た大阪城
●大手門 - 多門櫓

●西の丸庭園
●六番櫓〜一番櫓、内堀東側石垣
●桜門〜
●天守閣

     

 

●ホテルから見た大阪城   ●印はクリックして拡大 
ホテルの窓から正面に大阪城が見えた!それも城郭のすべてが!
満開の桜の向こうに外堀、そして西の隅に六番櫓、東の端に一番櫓が建つ長大な石垣。それが囲む城郭の真ん中に豪華絢爛の天守閣が建っている。
●大阪城   ●桜とお城
ホテルの部屋から大阪城の全体像が見える

 

●大手門 - 多門櫓   ●印はクリックして拡大 
●お城マップ 大手門へ 大手門
大手門は現存する門。1629年徳川幕府による大阪城再構築工事の際に再建された。

←千貫櫓は1620年に建てられたもの。大手門を北から防御するために造られた櫓。もとは石山本願寺時代からあり、石山本願寺を攻めた信長軍がこの付近にあった櫓を攻めあぐね、「千貫だしても奪いたい」と言われたのが由来。乾櫓とともに最も古い建築物。
千貫櫓 大手門手前の石に土佐藩山内家の家紋

多門櫓は、大手門口にある鉄壁の要塞の一角を担う建造物。櫓門を通る敵に、上からやりを落とす仕掛けがある。下に鉄板張りの大門を備える渡り櫓、南に折れて延びる続き櫓からなる。大阪城の他の桝形にもあったが、現存するのはこの多門櫓のみ。→

石垣の上に銃眼が残っているのは非常い珍しいとのこと。↓

大手門の裏側から見た狭間

多門櫓

●鏡石 石垣の上に銃眼が残っている 高価な目地漆喰を使っている

 

●西の丸庭園  ●印はクリックして拡大 


←西の丸庭園は、約3000本の桜が植えられており、桜の名所。桜とお城の写真はやっぱり西の丸庭園から。西側の櫓からぐるりとまわる。

千貫櫓の裏側の石垣に肥後隈本藩加藤家の家紋が刻印されている。これらの釜生の刻印は、徳川幕府再築時の「丁場割図」に示された大名の分担区域を担当した大名の刻印。→

西の丸庭園入口 肥後隈本藩加藤家の家紋の刻印
↑「大阪城内の刻印は約2000種類、刻印石の数は5〜6万個と推定されている。築城工事に動員された大名たちの名前や家紋、石の産地、石垣の高さ、石積みの順序、工事の持ち場の境界を示すものなど、さまざまな意味や役割があった」とのこと。

西の丸の西北隅を守る隅櫓、乾櫓はL字型をしている(1620年建造)。↓
坤櫓跡 千貫櫓が見える  

焔硝蔵は1685年建造の火薬庫。壁・床・天井とも花崗岩の切り石と漆喰で固められた堅固な倉庫。現存しているのは大阪城のみ。

「中」の刻印は加賀藩 前田筑前守利常ということなので、ここの石垣を担当したのは前田家ということか?↓


●西の丸庭園から 乾櫓

焔硝蔵 「中」の刻印は加賀藩 前田筑前守利常 焔硝蔵の鬼瓦:徳川氏の家紋、三葉葵紋

●桜とお城

●最上階の派手な装飾  


←西の丸庭園から天守と内堀西側の石垣を見ると、御座船がこんなに小さく見えることから、石垣と天守閣がいかに大きいかがわかる。

→石垣と高層ビル群の対比もおもしろい。

●お城と石垣と御座船   ●石垣と高層ビル群
→美しい石垣:「石垣の技術は大幅に進歩し、このお城の石垣は、石垣築造技術に長けた西国大名たちがそのころ頂点に達していた技術で積み上げられた」ということだ。おそらく、算木積みや反り、切り込みハギなどはこの時期には当たり前の技術だったに違いない。石垣の規格化も進んでいたのだろう。
  石の規格化も進みきれいな石垣 算木積
青空と桜 ●石垣とお城 ●飛行機と桜と城と

 

●六番櫓〜一番櫓、内堀東側石垣  ●印はクリックして拡大

南仕切門跡を通り抜けると、そこは、石山本願寺推定地。豊臣秀吉が大阪城を築く前に、石山本願寺という大寺院があったと推定されるところ。
南仕切門跡   石山本願寺推定地
上のパノラマ写真でも西の端に六番櫓、東の端に一番櫓が見える。
当初は7櫓が建ち並んでいたが、今は六番櫓と一番櫓の2櫓のみ残る。→

1598年に死去すると神格化された秀吉らをまつる豊国神社。豊臣家滅亡とともに姿を消したが、明治時代に復活。立身出世のご利益があるらしい。↓
現存櫓、六番櫓の裏側 六番櫓からお堀方向:石垣に銃眼

豊国神社 南東の階段から見ると→ ●南東の石段から見た大阪城

南東の階段を上ってお城を見るとまた雰囲気の違う天守が見える。
お堀側を見ると向こうに一番櫓が見える。石垣の上にはここにも銃眼が。

眉がついたわんこに遭遇。なかなか凛々しくてハンサム。→

一番櫓が見える 眉がお似合いのわんこ
天下普請で築かれた石垣:内堀東側や南外堀は高さ30m日本一の石垣。ところどころに屈曲があり、横矢を掛けられるようにしている。

石垣には100万個を超える石が使用されている。64の外様大名が競い合って小豆島の石切り場から運んできて築き上げた。石の規格化を行ったため、わずか9年間で築かれたとのこと。
●内堀東側の石垣   ●石垣

 

●桜門、鏡石など ●印はクリックして拡大 

桜門 秀吉の桐紋の瓦 門の裏側から:狭間がいたるところに
本丸桜門桝形の蛸石:高さ5.5m、横幅11.7m、推定108tともいわれる大阪城一の巨石。左側にある模様が蛸のように見えることから蛸石と名付けられた。岡山城主、池田忠雄が運び込んだ花崗岩。→


桜門桝形の巨石→

左の丸印のズーム:蛸石




←昭和6年建設の歴史ある洋館。旧第四師団司令部庁舎(もと大阪市立博物館)。ショップやレストランなどが入っているが、ショップのほとんどは17時、17時半に閉まってしまうため、夕方入った時にはほとんど店が閉まっていた。レストランなどもコロナの影響で営業時間が短かかった。
天守閣 ミライザ  
天守閣入口のすぐ右側に金蔵がある。江戸幕府の金庫として使われ、現在の価値に換算すると500億円相当(全体の4割を占める)がここに保管されていたそうだ。
金蔵 ここにも徳川氏の家紋、三葉葵文鬼瓦

 

●天守閣、その他  ●印はクリックして拡大
←鯱鉾、鬼瓦、破風、家紋などにゴールドの装飾が施されており、お城は豪華絢爛。


天守に入る前にある金明水井戸屋形の屋根に桃瓦を発見。桃には魔除けの強い霊力が宿っていると信じられてきた。↓
天守閣入口手前 ●金箔の装飾


金蔵周辺の遺構調査 金明水井戸屋形 金明水井戸屋形の桃瓦
●天守閣最上階から南方向 鶴の絵の最上階から町を見下ろす 通天閣が見える

●極楽橋からのお城 大阪城マンホール
ホテルからの夜景

 

戻る