2022年4月3日

お城旅行3日目はかの有名な「天空の城」の竹田城跡。お城の初心者はまず天守閣に夢中になり、石垣には物足りなさを感じたりするものだが、この石垣だけの竹田城はちょっと違う。南北400m、東西100mにも及ぶ広大な縄張りは石垣で埋め尽くされている。石垣が遺構として完全に残っているのは、全国でもまれだそうだ。 天守や御殿などの建物がなくても、これだけ美しくて完璧で荘厳であれば、魅了されないものはいないだろう。

歴史やお城の構成など何も知らなくても、ビューポイントだけでも楽しめるが、それだけではもったないので、テレビでお城番組(城郭考古学者の千田先生によるお城復元の番組を含む)を見て、にわか知識と、千田先生によって復元された竹田城のイメージを頭に入れて訪れた。お城に着いたころには頭に入れていた記憶も半分ぐらいに減ってはいたが、帰ってきてからもう一度録画を見ながらまとめてみた。

美しさの秘密は、テレビでも言っていたが、石垣自体が巧の技で築かれていることと、本丸を中心に三方が突き出た独特の形をしているため、どこにいても自分の城の石垣が見え、石垣をよじ登ってくる敵を一撃にすることができるし、また上から攻撃する横矢掛かりが多いという鉄壁の守りが、美しい石垣を生み出しているということがわかった。

天気はくもり、桜は蕾状態でも石垣だけで迫力満点だった。早朝の雲海に浮かぶお城が見えたらもっとよかったが。


竹田城 - 天空の城   目次

安土城や姫路城と同じ穴太積みによる石垣。平面構成の美しさは全国でも指折り。虎が伏せているように見えることから「虎伏城」とも呼ばれる。

築城時は土塁で守られていた城が、秀吉の家臣、赤松広秀により、今に残る総石垣造りの城に改修された。近くに生野銀山があり、秀吉が来ることもあったので、このような立派な造りになっている。廃城になって420年。

  ●竹田城跡へ
●竹田城跡 - 大手門、北千畳
●三の丸〜二の丸〜本丸
●南二の丸、南千畳
●下山
●竹田のまち
     

 

●竹田城跡へ  ●印はクリックして拡大 

←竹田に宿泊していないので、早朝の雲海を見るのは無理。だったら、せめて夜景でもと思って前日の夜、立雲峡に行ってみた。ライトアップされているのはわかるが、小さすぎてあまり良く見えなかった。

翌朝、福知山から竹田へ。天気はくもり。駅に併設の観光案内所でパンフレットを頂いて、駅の裏にそびえる山(約353m)、竹田城跡をめざして駅裏登山道を出発。

●立雲峡から見る竹田城址の夜景 竹田駅(反対側)
駅から少し見える お寺が立ち並ぶ 川と土塀と桜



駅の裏側にぐるりと周って、お寺と満開に近い桜が川沿いに並ぶ風情のある道を進み、ちょうど駅の反対側まで来ると竹田城址登山口に入る。

ここからは登山道。途中で防獣ゲートを通過し、よく整備された道を歩いていく。ところどころに料金所までの距離が書かれた指標がある。
狭間のある土塀 塀の向こうからのお見送りですワン


竹田城址登山口

道標 ここから料金所まで800m
防獣ゲート 歩きやすい道 あと半分ぐらい
登山道

クロモジの花

ノジスミレ(?)


足元にはさまざまなスミレが見られた。

登山口から道草をしながらゆっくり歩いて料金所まで40分ほど。
料金所の方が今朝も雲海が見られたと言っていた。主に秋に見られるということから最初から計画はしていなかったが、やっぱり見たかった。。。

色のつき方がおもしろいスミレ

  料金所

 

●竹田城跡 - 大手門、北千畳  ●印はクリックして拡大

お城は料金所からすぐそこ。
正面突き当りに縦長の見せる石(鏡石) があることから、大手門はその向かいにあったのではという説があったが、 千田先生によるとここでは奥行がないので左に曲がった 点線箇所にあったのではとのこと。実際この近くで当時の瓦も見つかっていることから、ここに瓦ぶきの櫓門が立っていたのではとのこと。

大手口の枡形虎口 正面に縦長の鏡石

穴太積み:竹田城の石垣は、自然石をあまり加工せずに積み上げた「野面積み」。
大中小さまざまな石をバランスよく配置するのを見せどころとする石垣は滋賀県大津市坂元町穴太を拠点とする石工集団「穴太衆(あのうしゅう)」の石積み技法。当時最高の技術を誇ったこの石工集団には「石の声を聴け。石の行きたいところに行かせてやれ」という言葉があるとおり、石一つひとつの個性を覚えて頭の中で積み上げていく石選びから始まる。穴太積みは、安土城や姫路城などでも使われている。

大手門は左に曲がったところに ●穴太積みの説明に使われる石垣  

→「早朝桜雲海への旅」の張り紙があった。料金所の方も今朝も見えたと行っていたし、秋だけでなく春も雲海が見られるということだ。
↓北千畳には桜の木もたくさんあるのだが、残念なことにこの標高ではさくらの花はまだ蕾状態。下界ではほぼ見頃状態だったのに。でも足元にスミレはたくさん咲いている。

大手門を通過して上ってくると右手が北千畳。ここは、千田先生によると、戦や籠城等に備えて食糧などを備蓄していた蔵、そして馬屋もあったとのではとのこと。
今は休憩所のようになっていて、上ってきてとりあえず北千畳で一休みする団体さんなども多い。ここでは飲食も可。展望もすばらしい。 ↓

  早朝桜雲海への旅

北千畳で休憩する人たち 北千畳のすみれたち 北千畳から見下ろす

 

 

●三の丸〜二の丸〜本丸  ●印はクリックして拡大

←大手門にも桝形虎口があったが、さらに曲がったところにまた桝形がある。千田先生によるとここにも櫓門があったとのこと。階段を上ったところに門があったという説も。
桝形虎口は、虎口に四角い空間を設け、敵をまっすぐに進めなくしてその間に三方から攻撃を加えやすくする守りの要。

→三の丸から二の丸へは豪華仕様の石畳の道。これはめずらしいとのこと。

三の丸の枡形虎口 石畳
●三の丸から本丸方向 ●二の丸・本丸方向 二の丸石垣

→花屋敷には今は入れないが、周囲に石垣があり、鉄砲狭間が残っているらしい。
本丸を背後から守っていただけではなく、千田先生によると、この名前から芸術的な空間でもあったらしく、樹木が植えられ、茶室などがあったのではとのこと。



↑千田先生によると、二の丸の石垣は大きいが奥行があまりない石(鏡石)が勢ぞろいしたオールスター集合状態とのこと。
→↓また、残っている礎石をもとに、二の丸には、櫓のように武装しつつ、特別な人しか立ち入れない権威を象徴する御殿が建っていたのではとのこと。
     
二の丸と南千畳、南二の丸、本丸方向




天守台の石垣は算木積みになっている。反りが美しい。日本の城の石垣は反りという曲線が特徴的。
敵の攻撃を防ぐだけでなく、見た目にも美しい。


●天守台の石垣   美しい天守台の反り
南千畳、南二の丸を本丸近くから見たところ
↑南千畳方面の石垣は早朝にお日様が当たり、真っ赤に燃えるそうだ。近くにいた団体のガイドさんが自分が撮った真っ赤に燃える石垣の写真をみんなに見せていた。

天守台には裏側から階段ですぐ上れる。天守台からは菊紋瓦も出土しているらしい。菊紋は当時信長や秀吉が権威を示すために使っていたもので、やはり豊臣秀吉が背後にいることがここからもわかるとのこと。

天守台へ(天守台の上)   ●天守台からまちを見下ろす
千田先生によると、ここには黒い壁の下見板張りで3重の天守に付櫓が連結して建っていたと考察。

天守台の上からの展望は抜群にいい。
城下町と但馬の山々の展望はすばらしいし、南千畳側と反対側の二の丸・三の丸側も見下ろせる。南千畳方面を見ると石垣が入り組んでいて横矢掛かりが多いことがわかる。堅固であった証拠だが、今はそれが見た目にも美しい。
  ●天守台から南千畳を見下ろす ●天守台から二の丸・三の丸方向

 

●南二の丸、南千畳  
南二の丸から本丸、二の丸、三の丸方向


←本丸から南方向は南二の丸の曲輪の下に南千畳の曲輪がある。どちらもかなり広い。南千畳からは位置的に南二の丸の石垣を含めて東西に延びた長い石垣群を見渡すことができる(写真下パノラマ)。
千田先生曰く、南千畳は、このお城で働く武士たちが暮らす武家屋敷があったのではとのこと。
→南千畳から天守台方向を見ると石垣がこれでもかというぐらい何重にも重なって見える

南千畳から本丸方向   ●石垣が何重にも重なって見えるところ
南千畳から南二の丸、本丸方向

→石垣の隅部に長い石と短い石を交互に積み重ねている「算木積み」(右側)とそうでない「重ね積み」(左側)になっているところがあるのは、千田先生曰く、それぞれの流派の石工が一斉に動員されて石垣が造られたためだとのこと。
これだけの石をこの山の上にどうやって集めることができたのかと単純に疑問を抱いてしまうが、なんと周囲に石取場が確認されているそうで、この山は今より50mぐらい高かったが、岩山を削って石垣にしたらしい。
算木積みと重ね積み  

 

●下山  


出口は南千畳の端にある。ここから整備された階段を下りていく。

足元には赤紫のアケボノスミレや薄いピンクや濃いめのピンクのショウジョウバカマが咲いている。

途中で道の近くを縦に走る竪堀らしきものを発見。

アケボノスミレ 竪堀



あっという間に舗装道路に下りてきた。帰りも元来た駅裏登山道を下ることにしたので、入口方面に歩いていく。
この道は、タクシーやバス停などがある道につながっているので多くの人が入口を目指して歩いている。

下りの道 舗装道路に下りてきた

シュンランs



野草を見ていたら、ボランティアガイドの人が自生のシュンランが咲いているところがあるのでと教えてくれた。
植物園などではよく見るが、自生のシュンランは珍しいらしい。いいものを見せてもらった。

ショウジョウバカマ   自生のシュンラン

 

●竹田のまち  
「ホテルENの客室は、竹田のまちに点在する全6棟13室。明治時代に建てられた築100年以上の古民家をはじめとする6棟を、可能な限り"そのまま"にリノベートした」とのこと。
今度来たときはここに宿泊して雲海を見てみたいものだ。
ホテルENの客室 ホテルENの客室



「旧木村酒造場が、建物の歴史性を尊重して可能な限り"そのまま"にリノベートされ、竹田城跡を訪れた観光客が昔ながらの生活に触れられる宿泊棟、地産地消のフレンチレストラン、コミュニティの場としてのカフェなどを設け、人と人との縁を結ぶ場所になってほしいーーそんな願いを込めて「EN」と名付けました」

EN複合商業施設   旧木村酒造場

 

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